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雑草魂

三寒四温をくりかえし、桜前線も北上していよいよ春がやってきた。
花咲き乱れる春。桜はもちろんのこと、いわゆる園芸種、ガーデニング用の花が家々を美しく彩るさまを見るのも楽しい。
しかし、この時期私が最も心ひかれるのは、道端やアスファルトの舗道の際に咲く、かわいい雑草の花たち。
誰にも手をかけてもらうこともなく、当り前のように踏み潰され、ときには冷たい雪をかぶっても、ちょっとした土から養分を吸い取り、毎年春に必ず花を咲かせる。
なんとたくましく、いじらしいことか。
ゴージャスな花もいいが、私はこういう雑草・山野草の類が大好き。こういう花を見ると、遠く幼ない日、花を摘んで遊んだ少女の頃を思い出す……なんて乙女チックなノスタルジーに浸る自分を笑ったりもする。

そして、雑草といってあなどることなかれ、それらの花は本当に愛らしく、また色もきれいなものが多い。
かつて昭和天皇は「雑草という名の植物はありません」と言われたそうだが、まさにそのとおり。雑草ひとつひとつ、立派な名前を持っている。
立派というよりはちょっとひどいというか、かわいそうな名前がついているものもあって、それが雑草たる由縁か。


例えばこの時期、これが咲くとわけもなく嬉しくなってしまう「オオイヌノフグリ」。
b0036381_156085.jpg 小さい花だが、この花の青色は園芸種にはめったにない、ピュアブルーだ。澄んだブルーと、葉っぱの緑色がなすあざやかなコントラストに目をうばわれる。おまけに「こんなところに」というような殺風景な場所(マンホールのふた部分など)に咲いているので、なおさらありがたい。
し、しかしですよ。
「イヌのフグリ」とはあまりにも、アレじゃないですか。。。。。「フグリ」=「陰嚢」。要するに、♂のあそこの、あれでしょ。イヌのね……なんか、あんまりじゃな~い?こんなかわいい花にこの名前。もうちょっと、他の表現はできなかったのだろうか。


そして、なぜか我が家の周辺では見られないが、本によると全国的に分布しているという花、「ヘクソカズラ」。
b0036381_1564957.jpg私が初めてこれを見た場所は、東北自動車道那須インターの出口付近。フェンスにからまり咲いていた。白地に赤がかわいい、一度見たら忘れられない花なのに名前がヘクソ…言うまでもなく「屁」と「糞」のこと。
葉っぱや実をつぶすと悪臭がすることからついた名前というが、なんだかねえ、そういう「負」の部分を名前にしなくてもいいのにね。

まあ、このヘクソカズラが咲くのは夏だというし、残念ながら我が家近くでは見られないので、ここはひとつ、近所で見られるこの時期の雑草、いや山野草をあげてみましょう。

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ホトケノザ」。
「仏の座」、むかいあってついている葉っぱが、釈迦の座る蓮華座のように見えるのが名前の由来という。花としてはヘンな形だが、色鮮やかで、雑草といってもそれなりに美しい。

b0036381_203663.jpgナズナ」。
おなじみ、「ペンペングサ」。
女性で、これで遊んだことのない人はいないのでは。
花としては小さく、評価できるものではないが、ひっぱってペンペン、と鳴らして遊ぶ「実」の部分は、なんとなくハート形にも見えてかわいい。

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ハコベ」。  
これも何の変哲もないただの雑草かもしれないけど、オオイヌノフグリと並ぶ、私のお気に入り。白く小さな花の清楚さ、なよなよとはかなげに横に広がる葉っぱの質感が好きです。

そして、もう少しすると咲いてくる花たち。

b0036381_231999.jpgヒメオドリコソウ」。   
花は小さいピンクだが、葉っぱの一番上の部分が赤紫色で、独特の存在感がある。


b0036381_0114712.jpgトキワハゼ」。
これを家のすぐそばで見つけたとき、初めて見てとても珍しくて「ラッキー!」と喜んでしまったが、どこにでもあるそうだ。
でもこの花の愛らしさは天下一品。
だって、小さいのに白一色じゃないところがいいでしょ?b0036381_0245485.jpg


カタバミ」。
これこそ、「雑草」以外の何物でもないかもしれないけど、黄色い花をつけてる間はかわいいので許す。

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ネジバナ」。  
これはもうかわいくてかわいくて、この種がどこかからとんできて花が咲いたあかつきには、何かいいことがあるような…とても雑草とは呼びたくない花。実際ランの仲間だそうだ。我が家の裏が、まだ空き地だったころにこれが群生したことがあり、道行くおばさんが必死に摘んでいた。私の土地でもないのに、「ちょっと摘みすぎじゃな~い?」と言いたくなった。


b0036381_0161455.jpgニワゼキショウ」。
漢字で庭石菖。ちょっときれいな名前でしょ。これはちょっと遅く、毎年5月頃に我が家の前の公園にざーっと群生する。色は濃いピンクのほかに、うすいピンク、うすいブルーがかった白もある。次男が小さいとき、これを摘んで「はい、ママ」と持って帰ってきた。すぐ一輪挿しにさしたが、瞬く間にしおれてしまうのが残念。


b0036381_218591.jpgハルジオン」。  
春紫苑。これもきれいな名前。といっても、花を見ても何のありがたみもないほど、そんじょそこらに咲いている。もとは鑑賞用に輸入したものが、野生化したらしい。ミドリガメと同じようなものか。良く似た「ヒメジョオン(姫女苑)」は、このハルジオンに追われてその生息場所を街中から郊外へ移した、ということ。


他にもまだまだたくさんあるかわいい雑草の花々。
巨人の上原投手じゃないが、「踏まれても踏まれても強く生き残り、春にはそれなりの花を咲かせる」雑草に見習って、強く生きていきたいものである。あ、そうそう、かわいくってはかなげなところも真似したい…けどこれは無理そう。
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by gbsatomi | 2005-03-30 03:13 | FLOWERS

さらば小学校

17日は次男の小学校卒業式だった。
あいにくの雨だったが、式は滞りなく終わった。
これで足掛け8年に及ぶ私の小学校ママ生活もおしまいだ。
この子が卒業する頃は40過ぎてるんだわ、と思うと恐ろしくなった、まだ30代前半のママだった私も、もう年齢のことなど気にもしない、肝っ玉母さんとなった。
時の過ぎるのは本当に早いものだ。

あちこちから「泣くでしょ。最後の子だもん」など言われたが、意外と平気だった。
2年前、長男の時もそうだったが、うちの小学校の卒業式というのは、どうもシステマチックというのか、機械的というのか、あまりにも整然としていて、完璧なほど訓練されていて、何か血のかよったものがいまひとつ感じられないのだ。
例えば幼稚園の卒園式では、在園児が出てきてかわいい声と身振りで歌を歌う場面で、母親たちの涙腺は全開となったものだ。
今どきの小学校は、昔のように代表児童が答辞と送辞を述べる、などというものではなく、全員参加で「呼びかけ」の言葉を言うのだ。もちろん各人のセリフを与えて。(そういえば30年前、私のときもそうだったっけ)
その「呼びかけ」のセリフがあまりに作られすぎている、というかきれいごとに終始していて、また、我が子をはじめとする普段は不真面目な男子たちも、そのときばかりは真面目にそれをやるので、なんというか面白みに欠けるのである。
まあ、こんな感想を持つのは不良母の私だけかもしれない。

次男は実に友達に恵まれていて、牧歌的な香りあふれる少年野球チームにいたこともあり、野生児のような小学校時代を過ごした。そんな男の子たちの、今しかできないようないたずらっぽい笑顔が好きな私には、堅苦しい卒業式で真面目にセリフを言う悪童たちが、ちょっと窮屈そうに見える。
ちなみに、この時期話題になる「日の丸・君が代」は、わが小学校ではごく普通に国旗が学校旗と並んで掲揚され、国歌は全員起立して歌った。「先生で立たない人いるかな」と背伸びして職員席をのぞいたが、誰もいなかったようだ。私も、久々の合唱の練習のように、大声で歌った。

こんな私だが、最初から不良母だったわけではない。
長男のときは、何もかも母にとっても初めての経験なので、とても神経質に、慎重になっていた。まして、内向的で友達の少ない長男のこと、母親同士の付き合い一つにも、とても神経を使ってしまったものだ。
ところが次男ときたら、キャラ的に長男と180度違ううえに、こちらも同性の2人めだ。これが女の子だったりしたら、もう少し構えていたかもしれないが、もう私は悠然と子育てをしてしまった。といえば聞こえがいいが、要するにほったらかしで育てたということだ。
長男が2歳2ヶ月のとき生まれた次男は、気がつけば寝返りをしていたし、いつのまにかお座りをし、はいはいするようになっていた。長男の時のようにいちいち発達段階を覚えていない。長男が寝ているときは、物音をたてないよう気をつけたものだが、次男のときはそれも皆無。彼はお兄ちゃんの友達―2歳児が5、6人「キャーー!!」と騒ぎながら走りまわっている部屋で、すやすやと寝ていた。母親がこんな態度で育児に臨んだのだから、彼が大胆不敵な野生児に育つのも無理ないかもしれない。

というわけで、卒業式の間中、私は不良母の面目躍如、まわりの人にちょっかいばかり出していた。
ななめ前に座っているAさんは、アンジェリーナ・ジョリーばりのナイスバデーの持ち主。ボディコンシャスなスーツに身を包んだ彼女がしきりにハンカチを顔に当てているのを見てとんとん、と肩をつっつく。
「泣いてるの?」
「鼻炎よ!」

隣に座っているBさんは、そんじょそこらのお笑い芸人より面白い女漫才師のような人。やたらと目頭を押さえているので今度はひじで軽く彼女をつっつく。
「泣いてるの?」
「違うの。左目にゴミが入ってさっきからこっちだけ涙が出てるのよ」

まあまあみんな、本当は泣いてんだかどうか。

今度は正装しているお母さんたちの、後ろ姿…髪形に目をやる。
どうも、皆さんヘアケアまで神経がいかないようだ。
ばさばさと、ツヤのない髪がほとんどだ。ドレスアップしているだけに髪とのアンバランスが残念だなあ、と思いながら自分のことは棚に上げて、私はにわかピーコになっていた。

式次第がすべて終了し、いよいよ卒業生退場。さすがに緊張が解けたのか、1年生の頃から知っている悪童たちが、にこにこ笑いながら拍手に送られて出ていった。みんな、大きくなったなぁ~・・・・・女の子たちのいでたちは、おしゃれな高校制服のように、ほとんどがブレザーとチェックのスカートで、彼女たちはそれを上手く着こなしているが、男の子ときたら、きりり、とネクタイをしめたブレザー姿が何となく借り物のようで、滑稽である。でもみんないい笑顔で出ていった。私の顔にも自然に笑みがこぼれているのがわかった。

そんなこんなで卒業式は終わった。
その後は、幕張プリンスホテルの49Fで、クラス全体のお食事会。ところがこのレストラン自慢の眺望は、あいにくの雨のため「雲の中」状態だった。飛行機に乗っているつもりでいましょ、と母親たちはよく食べよく笑い、我が子の小学校生活をふりかえった。
Cさんが、式の間ぼろぼろ泣いていたと聞き、早速ちょっかいを出しに行った。
「泣いてたんだって?」
「そうよ~。デキの悪い子ほどかわいいのよ」

そんなCさんに比べ、特に感慨もなかった、次男の小学校卒業。
お食事会がお開きになって、仲良しのお友達、Dさんとお茶を飲みながらどうしてかな、と考え、もしかして最近の私は精神的に疲れ果てていて、さらに感動したり、感激したり、という精神作用を及ぼすような事態になることを、防衛本能で回避しているのでは、という結論にいたった。
Dさんは、私と家庭環境が酷似していて、私たちはときどき心の棚卸しをするため、食事に出かける。たいていどっちかが泣いている。その日は2人で泣いた。残念ながら、お互いの子どもを卒業させた感激の涙ではなかった。

さて次男は翌日、今どきの子恒例の小学校卒業記念旅行、ディズニーランドに行ってきた。絶対単独行動をしないこと、トイレにも必ず誰かと行くように、などと言って聞かせたが、帰ってきて話を聞くと、冷や汗ものの珍道中だったようだ。幸い何事もなく、楽しい思い出、いい経験ができたのが何よりであった。

4月6日の中学入学まで、3週間足らず。いつもほったらかしにしてきた彼と、ちょっと濃密な時間を過ごそうかな、と思う。
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by gbsatomi | 2005-03-19 02:05 | DIARY

今日は特別な日

3月14日。
巷ではホワイトデーなどと言われているが、私にとってこの日はとても大切な日。
一昨年亡くなった、母の誕生日なのだ。

生きてたら今日で71才。
再選された、千葉県の堂本知事(72)と同年代。4年前、堂本さんが68才で立候補すると聞いて、「ほぼ同じ年でも、元気だなあ」と感心したものだ。母がだんだん弱ってきた頃だった。

2003年10月9日。奇しくもジョン・レノンの誕生日に母は逝った。
澄み渡る青空の、素晴らしい秋晴れの日だった。前夜は中秋の名月がこれまた美しく、夜空にくっきりと浮かんでいた。
地下の霊安室から母の遺体につきそって寝台車で出てきたとき、まぶしいくらいの陽光が射してきた。3時間ほど前に母を失った私は茫然自失だったが「太陽みたいだったママらしく、こんな日を選んで逝ったのかしら」と、ぼーっと考えた。

その年の4月頃から母は入退院を繰り返していた。
私は往復5時間かかる病院まで、可能な限り通った。
私が行った日はたいてい具合がよかったので私の仕事は看病じゃなく、話し相手だった。
6月頃、たまたま私が病院にいるときに母の容体がとても悪くなった。入院していてもいつも明るく元気だった母の、その衰え様を目の当たりにして、私は恐れおののいた。母が落ちつき寝入ったのを見届けて、トイレに駆け込んだ。涙がとめどなく溢れ、声を殺して泣いた。マスカラもアイシャドウも全部流れ落ちてしまった。この時以来、現在までマスカラはウォータープルーフのものしか使えなくなった。ドライアイだった目は、いつも涙で潤うようになった。ちょっと乾き気味だな、と思ったら母のことを考えたらすぐに潤ってくる。小説やドラマで、子どもを亡くした母親などのセリフで「あの子のことは1日たりとも忘れたことはありません」というのがよくあるが、私も母のことを思い出さない日は本当に1日もない。いいトシになってるのに、幼い子どものようにいつまでもメソメソしている。

その「メソメソモード」は1人でいるとき、突然やってくる。
困るのは車を運転しているときだ。一度そのモードに陥ったらしばらくは修復不可能。夜の運転中など、街灯の光が涙のせいで長く尾を引き、視界の悪いこと。このときは恐怖を感じる。
台所でお料理しているときにも、よく陥る。あるとき、敏感な次男が「ママ、たまねぎ切ってるの?」と聞いてきた。私がしくしく泣いているのに気づいたらしい。
そして生活習慣で最も変わったことと言えば、母の死以来、夜にお風呂に入れなくなってしまったことだ。
私はいつも長風呂で、ゆったり入るのが好きだが、そうすると思い出すのは母のことばかり。「今日はママのこと考えるのをやめよう」と決心して入っても、どうしても思い出してしまう。当然悲しくなる。だから、夜は疲れにまかせて寝てしまい、朝、子どもたちを送り出した後あわただしくお風呂に入る習慣がついてしまった。朝なら忙しいので、余計なことを考えずにさっさと入れるから。

こんな私だが、息子たちの前では涙を見せない強い母を気取っている。
母が逝って1ヶ月たった頃、長男の誕生日がやってきた。
初孫だった長男を母はことのほか可愛がっていた。
「もうすぐこうちゃんのお誕生日ね。今年は何にしようかしら」と、その時期になるとウキウキした声で電話してきた。その長男の13才の誕生日に、母からのプレゼントはもう届かなかった。一番のお気に入りの孫に、どんなにあげたかったことかと思うと、突然「モード」がプッツン!と切れた。「号泣」のお手本のように、ワーワーと泣いてしまった。そんな私を見て、中1と小5の息子たちは、もうどうしようもないほど困った顔をしていた。泣きながらも、「もうこんなにこの子たちを困らせてはいけない」と強く思った。だから、彼らの前で母の思い出話をするときはいつも笑顔で明るく話す。まさか、彼らは、私がいまだに毎日メソメソしているだなんて想像もしていないだろう。

臨終の際、病室にいた女性は私だけだった。父、兄、私の夫、息子2人。兄の妻と娘は駆けつけられなかった。モニターの数値がだんだん下がり、0をずーっと示すようになると医師が脈をとって、腕時計を見る。「○時○分、ご臨終です」まるでドラマの1シーンのようだった。しかし沈着冷静な私の実家の男たち(父と兄)はドラマのように、ワーっと声を上げて泣くような真似はしない。主人も息子たちもベッドから離れたところで立ち尽くしている。母の傍らで泣いているのは、私だけだった。一緒に泣いてくれる親族の女性がいてほしかった。

一つ不思議なのは、危篤の知らせを受けて早朝家を飛び出した時から一場面一場面を全部覚えていることだ。
年々モノ忘れがひどくなっていく脳細胞だが、病院にかけつけるまで、それからのこと、あらゆるシーンがしっかり脳裏に刻まれていて離れない。これも一種のトラウマというのだろうか。

亡くなってから一連の儀式のなかで、一番つらい瞬間はやはり火葬の瞬間だと思った。通夜が終わり、慌しく翌日の告別式の準備をしながら、私はほぼ一睡もせず母への手紙を書いた。これを棺に入れて一緒に焼いてもらおう。そう思って、その時の思いのたけを便箋6枚にびっしり綴った。いろいろ段取りするなかで、母に聞きたいことがいっぱい出てきた。「ねえ、ママ。どうすればいい?どうしてほしい?」しかし母は静かに横たわっているだけでもう口を開くことはない。手紙には、そのとき母に聞きたかったことをいっぱい綴ったが内容についてはほとんど覚えていない。そして手紙に添える、天国に持っていってもらいたい写真をあれこれ探した。この手紙は、私の神経を鎮める予想外の効果があった。母が焼却炉に入れられてしまうときも、乱れることなく耐えられたし、一番ショッキングな瞬間―お骨になって出てくるとき、衝撃が走ったが、やはり泣き乱れることなく対処できたのだ。
斎場の係員が、これはどこの骨、この人はまだ若かったので、骨の量が多いですね、もっと高齢だとこの半分くらいしかないんですよ…などと説明しながら骨壷に骨を入れていく。そのとき、5ミリ四方くらいの骨のかけらが私の前、手の届くところに飛んできた。
「このかけらがほしい」と反射的に思った。でも、そんなことをしてはいけないのだろうか、またはこの係員が最後にこれも骨壷に収めてしまうのだろうか、との思いがよぎった。一連の仏事は、経験のない私には全くわからない。「どうしよう…」しばらく迷ったあげく、思いきってそのかけらをつまみ、素早くポケットにしまった。係員は見てみぬふりか、何も言わなかった。例え5ミリの骨のかけらでも、母にそばにいてほしかった。今でもそのかけらは私のお守りとなっている。

私たちは、よく言われる「一卵性母娘」とは違い、わりとさっぱりした関係だった。あまりべったりした仲ではなく、お互いかなり独立性を保ってそれぞれの世界を楽しんでいた。離れて暮らしていたので、母が亡くなっても私の日常生活はなんら変わるものではなかった。
しかし、ちょっとしたことを話したいと思って電話しようにも、もう母はいない。これだけ通信手段が発達し、世界中どこでも、南極でも、ロケットで宇宙に行った人とでも通話ができるというのに、天国に行った人とだけはどうしても話すことはできないのだ。
早く母に会って話がしたいなあ、と思う。私の数年前にやはりお母さんを亡くした親友は、仏壇を拝むとき「ママ、私が死ぬ時は絶対迎えにきてね」と言うと聞き、私もまったく同じだったので驚いた。

入院中に母がぽつんと「ママはなんでも1人で耐える運命なんだわ…」とつぶやいたことがある。2歳で実の母と死に別れ、祖母に育てられた母は10歳くらいで1人田舎に疎開に行かされ、辛い目にあったそうだ。
結婚してからはきょうだい中でただ1人、転勤族の妻として、見知らぬ土地を転々とし、たくましく生きてきた。
「なんでも1人で耐える運命」。
私には娘も姉妹もいないので、何かにつけて母のこの言葉を自分にオーバーラップさせてしまう。

早く母と話がしたいが、息子たちが私を必要とする間は、がんばらなくてはいけない。母は死んでからも、私のことをずっと心配していると思う。それだけ親不孝な娘だ。せめて母の誕生日である今日だけでも、心穏やかに過ごしたかった。

ママ、もうすぐけんちゃんは小学校卒業だし、お兄ちゃんはこの土曜日、転勤で大阪に行ってしまうのよ。いろんなことが交差する早春。ママの誕生日なのにゆっくりお祝してあげられなくてごめんね、と親不孝娘は今日、母の遺影に向っていつものように謝った。

(今日はごく私的なことを書いてしまいました。今後、更新をまめにするためにも日記形式にしようと思っています。よろしくおつきあいください。
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by gbsatomi | 2005-03-14 23:14 | DIARY

♪中年フレッシュバンドの大いなる挑戦♪

先日、2回目のバンド練習を行った。本当なら3回目になるはずだったが、私の腰痛騒動で、一度お流れになってしまったのだ。
40過ぎてのバンド活動。
今、かつてのロック少年たちが中年になり、ロック全盛時代を回顧する雑誌があれこれ刊行されているし、実際、バンドを組む人たちも多いと聞く。仕事でも家庭でも、人生の方向性が見えてきたというか、まあ少し余裕が出てきたというか。
そこで、かつての仲間たちや職場などで趣味を同じくする人たちと、バンドを組むのだ。年代は推測するに、リアル・ビートルズ世代から2世代下くらいまで。大雑把にいうと、40~60才といったところだろう。
練習するスタジオは若者ばかりで気恥ずかしい、ということで、札幌には中高年専用のスタジオがオープンした、という報道を見たことがある。中高年にちょっとしたバンドブームが起きているようである。
そのブームは私にも突然というか必然というか、不思議な縁のめぐり合わせで、やってきたのだ。

私が属するバンドは、昨年12月に結成された、できたてのほやほやバンド。と書けばなんだかフレッシュな感じがするが、平均年齢43.5才という正真正銘の中年バンドだ。内訳は男性2名女性2名。ベース・ドラム・キーボード2人でロックをやるという、いささか珍しい形態。そう、ギターがいないバンドなのだ。
私をのぞく3人は同級生で高校の時からの知り合いである。男性陣はいずれも音楽活動30年選手というベテラン。キーボードK嬢は17才までピアノを習い、その後ドラムのI氏とバンドをやっていた経験がある。私のバンド歴といえば学園祭の即席バンドでの1度きりのライブという、皆無に等しいもの。あるのはビートルズ、とりわけジョン・レノンへの深~い愛情と女だてらに、と言われ続けてきたロック遍歴だけだ。音楽といえば4才から16才までダラダラとやっていたピアノのみ。というわけで、メンバーの平均年齢を若干下げているバンド初心者の私は、ベテランの心やさしいお兄様、お姉様の中で、わがまま放題を言わせてもらい、バンド仲間としておつきあいしていただいている。ありがたいことです。

皆、働き盛りの真っ只中。
ベースのJ氏は時間の不規則なTVマンで毎週土曜日が徹夜仕事、ドラムのI氏は連日午前様&休日出勤も余儀なくされる金融マン、キーボードK嬢はフルタイムで働く正社員で土・日も仕事、私は深夜の原稿書きを常とするフリーライター兼学習塾のセンセという不規則な仕事。女性陣は一応主婦であり、子育て中の母でもある。皆が集まれるのは、辛うじて日曜の夜、月1回。J氏は徹夜明けの体をひきずって日曜に帰宅し、ほんのわずか仮眠をとって夕方スタジオへ、K嬢も1日仕事をした後、職場の制服のままスタジオ入りという強行軍である。おまけに女性陣は見かけほど?頑健じゃない故、しょっちゅうあそこが痛い、ここが具合悪い、と言っている。プレ更年期とでもいうのか。
このように皆それぞれの事情を抱え、若い頃のように自由に時間を使うことができない。体力も年々衰え、認めたくないけど寄る年波には勝てないのも事実だ。
しかし、音楽への情熱や理解力、表現力は若い頃にもまして深まっているのではないかと思う。
なんといっても縁あってバンドを組んだわけである。
ドラムのI氏は以前、私とK嬢に「普通の人では体験できないバンド活動ができ、それを応援してくれる仲間たちがいる、こんな恵まれた環境はまず他にないよ」とおっしゃった。
私もまさにそう思うし、おそらくJ氏もK嬢も同感だろう。

リタイア後の生きがい探し、というのは高齢化社会の必須条件である。
私は仕事で、リタイア後の人生を趣味豊かに楽しんでいる人、何か熱中できることや仲間を持っていきいきと暮らしている人をよく取材するが、そういう人たちはほぼ100%といっていいほど、40代から仕事以外の「何か楽しめるもの」を見つけて、コツコツと積み上げてきた人たちだ。定年後に何か生きがいを探そうとして、急に見つかるものではない、と彼らは異口同音に言う。40代の働き盛りの日々に、時間もお金も体力も、何とかやりくりしてずっと継続してきた「何か」が、リタイア後に花開き、人生を彩る場合が多いのだ。
私たちも、少なくとも私とK嬢は、今、バンド活動するのは体力的にキツイものがあるが、自分がやりたいこと――それは1人では決してできないこと――を一緒にやってくれる仲間に恵まれているという、この上ない幸運を感謝し、何としてでもやり遂げたい、という思いでいっぱいである。あせらず、少しずつ着実に。

ひよっこの私がエラそうに言うのもナンだが、バンドってみんなで力を合わせて、息を合わせて、音を合わせる(ように努力する)のが最高に楽しい。新しい曲にチャレンジするとき、家で自分のパートだけ練習していたら「何、この曲?ヘンなの~」ということも多々ある。それがスタジオで皆の音を合わせると「へえ~、なかなかいいじゃない!」という感じに。

「いつかはライブを」との目標のもと、道のりははるかに遠く長いが、「お疲れだけど夢いっぱい熟女たち」は、次回練習の日を心待ちにしている。それをいろんな面から支えてくれる、優しきベテランバンドマンたち。ありがとうございます!次回ミーティングinファミレスでは、イヤホンをつけたまま大声で話して、皆様に恥をかかせることはしないようにしますので・・・・・
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by gbsatomi | 2005-03-12 00:03 | MUSIC

コムスメの小道具たちPart2(最愛のコスメたち改め)

以前、某O氏がおっしゃったこの言葉が気にいったので借用しました。元美容ライター志望のコスメおたくがおすすめする、変身用小道具の数々。

さて、今回はドラッグストアなどで手に入るチープコスメのすぐれものをご紹介しましょう。
チープだからと侮ることなかれ。なかなかの実力派ぞろいですよ。

まず、私が命をかけているマスカラの下地に使っているのがこれ、メイベリン ラッシュディスカバリー(定価¥1200)
b0036381_275295.jpgこれは細いブラシが、まつげ1本1本を適確に捕まえてくれます。そして、しっかり離してくれる。この離れ方はちょっと感動的です。これをマスカラの下地がわりにして塗った上に、強力なカール効果のあるマスカラ(最愛のものが廃番になった今、マスカラジプシーとなっている。ランコムかエスティローダーのウォータープルーフが最近の定番)を重ねづけします。すると、下向きまつげは劇的に上を向き、上3㎜、下2㎜の「目元増大効果」が出るのです。下向きまつげをカールキープするのは、ウォータープルーフマスカラに限ります。

さて、今度は「ごまかす」ためのコスメ。
何をごまかすのか。シワを隠したり、シミを消したり、このトシになるとあちこちごまかしたいじゃないですか。幸いなことに私にはシミはないので、やはりシワをどうにかしたい。とくに眉間のシワ。くっきりと刻みこまれてしまって、自分がいかに、いつも苦悩しているかがわかります。(涙
そんなシワを目立たなくしてくれる「ごまかしコスメ」がこれ、ポーラデイリーコスメの「アルブ エイジ カバー&リフトエッセンス」。b0036381_2113136.jpgつい、うっかりこれを塗り忘れて、メイクをフィニッシュすると、ユウウツな気分になります。それほどお気に入り。これも定価980円。シワ隠し用化粧品て高価なものもあるみたいだけど、これで十分じゃないかな、と思います。



でもね、いろいろ隠したりしてもまず基本は洗顔。そこでクレンジング=メーク落としから始めましょう。









メーク落としはきちんとしましょう。私のおすすめはオイルクレンジング。一押しは「インターフェイス オリーブクレンジングオイル」(¥1800)です。この値段がチープかというと、意見の分かれるところです。たしかに1000円以下のオイルもたくさんあります。でも、それらは鉱物油を使っているのです。。b0036381_2133377.jpgオイルを手にとり、顔に伸ばした後、手を水で洗ってみてください。ヌルヌルがいつまでもとれない場合はそれは鉱物油です。鉱物油の何がいけないのか、化学的な説明ができないのですが、オリーブというヘルシーな植物と比べるといかにも、という感じでしょ?上質なオリーブオイルを使っているこの商品は水洗いでさっと流れます。大手メーカーだと4~5000円もするオリーブオイルクレンジングが、この品質でこの値段はとてもリーズナブルだと思います。











マスカラなどでアイメイクをきちんとしている場合、専用のリムーバーで落とさないとね。マスカラ歴20年以上の私は長年いろいろと試しました。某外国メーカーのものは¥4000もしたのに、目にしみてどうしようもありませんでした。費用対効果で「これはいい!」と私の定番になったのがコーセーの「パーフェクトメイクアップリムーバー」。b0036381_2145264.jpgまず、どんなにたくさん使っても全然目にしみないやさしさがいい。そして繊維入り・ウォータープルーフマスカラでもきちんと落とせます。¥1000で140mlというのも嬉しいところ。











さて、いよいよ本日の真打ち登場、メイクをきれいに落とした後は石鹸です。

「CPホワイトソープ」。(¥1000)ホワイトという名前でも、青色の石鹸です。はっきり言ってこれは超おすすめ!これで朝晩洗えば、美肌になること間違いなし。私の肌が現在どんどん衰えているのは、不精しているせいもあるけど、最近これをずっと使ってなかったことも原因のひとつです。これは、ケミカルピーリング効果のある石鹸です。フルーツ酸(AHA)という成分が、肌をピーリング(剥がす)してくれるのです。といっても、もちろん美容皮膚科で受けるような、強いものではありません。ほんの少量フルーツ酸が入っているので、毎日続けることにより、角質のない、透明感のある素肌になります。b0036381_226478.jpg

使い方がちょっとユニーク。泡立てネットなどで、ホイップクリームのような泡を立てます。それを顔じゅうに塗りたくる。決してゴシゴシしない。泡で顔にパックをする感じです。そのまましばらく置いてください。すると、ちょっとピリ、ピリとしてきます。これがピーリング効果。余分な角質が剥がれ落ちていくのです。あとはきれいに流すだけ。すると、今までの石鹸では体験したことのないような「ツルツル感」に驚きます。これはもうやみつきになることうけあい。
不思議なもので、お手入れをきちんとして、角質がたまっていないときは、「ピリピリ」までの時間が早い。逆に、手入れを怠っている場合、角質がたまっていて、「層」になっているのか、なかなかピリピリしてこないのです。

ちなみに腰痛騒動で顔を洗うのもままならなかった私の肌は、現在悲惨なことになっています。実は今でもきちんと洗顔できるのはお風呂の中だけ。本当は朝からこの石鹸でしっかり洗いたいんだけどね。。。

というわけで、実力派掘り出し物のチープコスメをいくつか紹介しました。私は近所のドラッグ&ディスカウントストアで買うのですべて定価の2割引!でもかけられるものならお金をかけたいのも女心。
先日、デパートでYSLの美容部員に声をかけられ、25000円もするクリームを塗ってメイクしてもらった時のこと。
「きれいなお肌ですねえ」
「いや~40歳過ぎるととてもとても…」
「えっ!40歳?とても40過ぎのお肌には見えませんわ~」
見え見えのセールストークでも、おだてられてイヤな気はしない。
「これは、保湿・美白・下地・すべて兼ね備えたクリームなんです。これさえ1コあれば全部済むんです」
確かに、使用感はいままでに経験したことないほど良かった。「う~ん、25000円ね…」
それだけ出してキレイになれるのなら、なれるかしら、なれれば…なんだか5段活用のようだ。頭の中でほのかな期待と、卑屈なあきらめと、厳しい財布の中身が交差する。
結局、私はお愛想笑いを浮かべて、何も買わずその場を去った。

以前、取材した美容皮膚科の医師の言葉を思い出す。
「今は、お金さえ出せばいくらでもキレイになれるんです」

でも出せないものは出せないし…だから頼れるチープコスメをさらに発見していきたい、と考える次第です。
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by gbsatomi | 2005-03-01 02:44 | BEAUTY


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