Welcome to Satrawberry Fields!
2009-03-01T14:25:38+09:00
gbsatomi
コスメのことならhttp://satomiomio.exblog.jp/へ!
Excite Blog
Lucky Twin Eggs
http://gbsatomi.exblog.jp/10423235/
2009-03-01T00:45:00+09:00
2009-03-01T14:25:38+09:00
2009-03-01T00:46:48+09:00
gbsatomi
DIARY
調理中に卵を割ったら、なんと「ふたご」!
わたし的には大変珍しい。遭遇したのは15年ぶりくらいじゃないかな?
毎日のように卵を割る私ですが、
時折「最近本当にふたごの卵って少ないなあ」と思ってたのです。
子どもの頃は、わりとあったよね、ふたご。
母が台所でたまに「わっ!ふたごよ」と言うと、とんでって見たものでした。
珍しいものを見ると、なんかHAPPYな気分になるんですよね。
別にどうってことないことなんだけど、ほのぼのと嬉しいというか。
で、私も当然リビングにいた息子たちに言いました。
「わっ!ふたごよ、ふたご!」
こういうとき、相手をしてくれるのは次男です。
わあわあと興奮して感想や薀蓄を述べる私の言葉をふむふむ、と聞いて、写真に撮ろうとか目玉焼きにしようとか一緒に盛り上がりました。
「ああ、なんかいいことないかしら」
「そうだね、ツキがあればいいね」
一方長男といえば、台所で盛り上がる私たちに目もくれず、なんとTVゲームに熱中している。
「ちょっと、これ見なさいよ!珍しいんだから。ほらほら、ツキがあるよう拝んでおきなさいよ」
無理やりふたごの入ってる器を見せる私に「ん?あ、ああ」と一瞥するだけ。
まったく~!
そしてその卵は予定を変更して目玉焼きに。ちょっと不細工になっちゃった。
それから当初予定した料理を作ろうと、また冷蔵庫から卵を出して割りました。
そしたらなんと!
またまたふたご!!
まあびっくり。こんな珍しいことがあるなんて。
これはブログで自慢したいぞ~、なんて思い、ちょっと検索してみました。
すると、いくつかの「ふたごの卵」自慢?ブログが見つかりました。
それでいろいろ読んでいくと、昔に比べてふたごが出なくなった理由がわかりました。
現在では、ふたごの卵は「規格外」として売り場に出ないそうなんです。
「M」とか「L」とかグラム単位で規格が決まっているから、ふたごの卵はどうしても重くなりがちなので、はじかれるんでしょうかね。そういえば、私が買ったのは「LLサイズ」でした。めったに行かないスーパーで、珍しいサイズのものを買ったのでした。
重量だけでなく、ごく弱いエックス線か超音波で中身を検査して、ふたごははじかれると書いてあるサイトもありました。
な~るほど、昔に比べてふたごに遭遇しづらいわけだ。
でもはたして、これが珍しい=ラッキーということになるのだろうか?
そしたらこんな文章を発見。
工業製品に例えると「規格外の不良品」になるため、品評会でも確認され次第失格となる。しかし食品として何ら不都合な点は無く、むしろその珍しさ(1羽の鶏が産卵を開始してから廃鶏として淘汰されるまでに二黄卵を産む確率は僅か1~2%といわれている)から縁起物として、農産物の直売や通販などでは付加価値も付く。
縁起物か~。うん、悪くはないぞ。
なんて思いながら、その「2つめのふたご」も目玉焼きに。(またまたブサイクだ)
それから4日後・・・
「ラッキー」なことが本当に起こりました!
受験生の長男に、「ツキ」があったのです。
ふたごの卵の威力、恐るべし。
今度から願い事があるときは、あのスーパーで「LL」サイズの卵を買おう、と決めた
愚かな私です。]]>
1月17日
http://gbsatomi.exblog.jp/10201075/
2009-01-16T03:23:00+09:00
2009-01-17T07:13:37+09:00
2009-01-16T03:23:27+09:00
gbsatomi
DIARY
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なにやら大災害が起こったらしく、給水所にポリタンク持って並び、水をもらっているsatomi一家。息子たちもこういう力仕事なら役に立つ。
かくして男3人が18リットルタンクを持ち、私はペットボトルに水をもらって帰宅しようとしたとき。
「いいわね、あなたのとこはたくさん水をもらえて。うちもミルク用の水もっと欲しいのに」と、赤ちゃん連れの女性に非難された。
給水は、1世帯に1タンクじゃなくて、一人に1タンクという決まりになっている。だからうちはズルをしているわけじゃないのだ。
でも、女性は赤ちゃんを抱いているから給水を受けられず、ダンナさんが1タンクもらってくるしかないのだろう。そこへ我が家がたくさんのタンクを持って通ったわけで、つい恨み言のひとつでも言いたくなってしまうのはわかる。
しかし、そこでタンクを一つ差し出すほど聖なる心を持っている私ではない。
「悪いけどあげられないわ。人が多くいるとその分水もたくさん要るのよ。ごめんなさいね」と心の中でつぶやき、バツ悪くその場を去った。
その後、水道が復旧した。
しかし私は水道局に電話をかけ、「うちはまだ水出さなくていいから、代わりにあの女性の家の水を先に出してあげてください」と頼んだ。「だって、あそこは赤ちゃんがいて、ミルク用にたくさん水を使うのに、なかなかもらいに行けなくて困ってるから」
あのとき、女性に水を分けてあげなかったことに対する後悔の念が、私にそう言わせたらしい。(夢の中なので支離滅裂な話である)
水道局の人は困惑した声で「あなたのお気持ちはわかりますけどね…でもそんな理由で水を止めたりはできません」と言った。
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ここで目が覚めた。
しかし、なんでこんな夢を見たのかな?と考えたら、前日に新聞で「阪神・淡路大震災で兄を失った子が、その形見のランドセルを持って今春小学校へ入学する」という話を読んだことが思い当たった。
「そうかぁ・・・もうすぐ阪神大震災の日なんだわ」
1995年のことだから、今年で14年になる。
あのとき社宅に住んでいたが、まわりのみんな誰もが、防災用品をあわてて用意したものだった。関東大震災や東海地震はいつ来てもおかしくない、と言われていたのに、ノーマークだった関西で未曾有の大地震が起こったのだ。
不謹慎ではあるが、私は「いつか関東にも来るなら、どうかこの子たちが自分で走って逃げれるようになるまで待って」と思っていた。
当時、5歳と3歳になる直前だった息子たちを、おぶって抱っこしてエレベーターのない建物3階から避難することは、いくら力持ちの私でも無理だったからだ。5歳の子なら一人で逃げれるのかも知れないが、そんなパニック時に自分の手から離してしまうことは考えられなかった。
その後、北海道、東北、新潟などで何回も大地震が発生したのに、なぜか関東ではないままで、幼かった息子たちも高校生になった。
目下、我が家では「1月17日」というと大学入試センター試験の日であり、受験する長男はぴりぴりしている。
でも、世間ではたしかにセンター試験も話題になるとはいえ、やはりなんといっても「あの日」なのだ。
息子たちと同世代の、幼い命もたくさん奪われたことだろう。
あの地震さえなければ、普通に成長して受験を迎えたり、社会人になったりして青春を謳歌していたはずなのに。
そう思うと、「元気に生きてて、受験できる」ことがどんなにありがたいことか、少しは考えてみなさいっ! と、ダラダラ漫画を読んでる息子に怒鳴りたくなる私なのでした。
改めて、阪神・淡路大震災で亡くなった方々のご冥福を祈りたいと思います。
そして全国の受験生、がんばれ~!
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おそすぎないうちに
http://gbsatomi.exblog.jp/10132220/
2009-01-02T23:21:00+09:00
2009-01-02T23:25:29+09:00
2009-01-02T23:22:56+09:00
gbsatomi
DIARY
今年も皆様にとって、良い年でありますように・・・・・
さて、年頭にあたり立てた私の目標は
「ブログの更新を去年より多くする」 です。
思い切り簡単な目標です。だって、去年は1本しか記事を書かなかったのですから。
伝えたいこと、聞いてもらいたいことなどたくさんありながら
「自分をさらけ出す」のが嫌になってしまう、というジレンマに陥っていました。
ネット上での対人恐怖症になってしまったような・・・
普段の私は人と話すのが好きで、いつも明るく振舞うタイプなんですけどね。
5年ほど前からの精神的落ち込みが、昨年はどん底までいってしまいました。
今年はほんの少しでも這い上がろうと思ってます。
そんな自分自身にエールを送るかのような歌を紹介します。
「おそすぎないうちに」
口語の平易な歌詞が胸を打ちます。
小学生向けの歌ということですが、内容は普遍的なもので、大人が歌っても素敵な歌だと思います。
なくしてしまってから その大切さに気づいて
悔やんだり 悲しんだりしても遅すぎるよ
もしかしたら 一番この世で大切なものは
ふだんあまり身近すぎて 気にもとめていないかも
今あるすべてのものは 当たり前なんかじゃなく
今あるすべてのものが 奇跡的にあるとしたら
君はどうやってそれを守るだろう
おそすぎないうちに まにあう今のうちに
できるかぎりのことをしよう
生まれてこられた お礼に
なくしてしまってから そのあたたかさに気づいて
悔やんだり 悲しんだりしても遅すぎるよ
もしかしたら 一番この世で大切な人は
当たり前と決めつけてて いると疑わないかも
生きているすべての人は なんとなくなんかじゃなく
生きているすべての人が ぎりぎり生きているとしたら
君はどうやってそれを愛すだろう
おそすぎないうちに まにあう今のうちに
できるかぎりのことをしよう
生まれてこられた お礼に
今年もよろしくお願いします。]]>
夏の終わりに
http://gbsatomi.exblog.jp/9428886/
2008-09-04T01:15:00+09:00
2008-09-04T21:29:07+09:00
2008-09-04T01:04:00+09:00
gbsatomi
MUSIC
10代後半のころ、つまり70年代の終わりに、夏になるとFMでヘビーローテーションしていた曲だ。
すごくカッコいい曲だった。インストゥルメンタルで、とにかくギターがスリリングでカッコいい。
イントロはピアノ。そのあとストリングスがかぶる。
スローテンポだが、緊張感のあるメロディー。これが序章のような感じで続いた後、一転してアップテンポになり、ギターがかき鳴らされる。
この曲・・・何というバンドの何という曲だったかしら?と、思い出すたび、記憶をたどっていた。しかし、夏になるとよくかかった曲、としか思い出せない。
でも、たしかバンド名だけは覚えていたはず・・・とさび付いた脳細胞の古い回路を一生懸命たどり、やっと答えが引き出せた。
「パブロ・クルーズだ!」
検索して、ヒットした文章を読む。「パブロ・クルーズと言えばサーフロック云々」と書かれている。へえ、サーフロックってジャンルがあるんだ。だから夏によくかかったのかな。そういえばなんとなくサーフっぽい、というか海へのドライブなんかにあいそうな曲だ。
と思って今度はAmazonで検索した。何枚かのCDが出てきた。
しかし、「その曲」の曲名がわからない。各々のCDにつき、数少ないレビューの片隅まで読むけど、どうも該当するような曲がない。
次のCDをクリック。
わあ、な、なんだこのジャケット。むさくるしいお兄さんたち。
サーフロックのイメージと違いすぎる。さわやかさがない。かといってマッチョというわけでもなく、なんとなく中途半端なお兄さんたちだ。
70年代には、こういうのが良しとされたのかしら?と思いながら1件だけついてたレビューを読む。
「ジャケットは暑苦しい男たち」とあって笑った。
その後、「この1曲を聞きたいがためにこのCDを買った」ということが書いてあった。
それこそ、私の探していたインスト曲だった。
曲名は「ゼロ・トゥ・シックスティ・イン・ファイヴ」
なんか覚えにくい名前。だからFMでも聞き逃してたのかな。
レビュワーが「この1曲のために」買った、というだけあって、どうやらそれはなかなかの名曲らしい。よーし、私も買っちゃおう。
とは思ったものの、節約根性でオンラインストアをいくつか探してみた。1曲だけDLできたらいいのだから。しかし、30年以上前の、そんなにメジャーじゃないバンドの、大ヒットしたわけでもない曲が、オンラインストアにあるわけなかった。
ちょっと悶々としていたところ、次男がタイムリーにも「アマゾンでCD買いたいんだけど」と言ったので、便乗して買うことにした。昔のアルバムなので思い切り廉価盤、たった1744円。(それでも節約しようとした自分が悲しい)
2日後、車で出かけるときにポストを見たらそのCDが届いていた。
車に持ち込み、早速開封した。ドキドキ。昔の恋人に会うような気分。
「ゼロ・トゥ・シックスティ・イン・ファイヴ」は6番目。当然真っ先に聴いた。
おお、これこれ!この曲よ!今聴いてもまったく遜色ない。カッコいいではないか。
ストリングスのアレンジが70年代ディスコっぽくて、ちょっと古くさい感もあるが。それを差し引いても十分カッコいい。昔は気づかなかったが、案外ピアノが目立っている。
ライナーを読むと、バンドの中心人物コリー・レリオスは6歳からクラシックピアノをやっていたということ。いわれてみればいかにもそれらしいフレーズが続く。
しかし、この曲、ドライブに最高だわ。疾走感。アマゾンのレビュワーも書いてたっけ。
結局、私は予定より遠い場所を目指すことにし、より長く運転してこの曲をリピートしまくった。気持ちよかった。
十分満足した後、やっと1曲目から聴いてみた。
うん、いかにもあの頃のアメリカン・ロックである。ウエスト・コーストって感じ。
ライナーを読むと、サンフランシスコ出身のバンドとなっていた。
そして「ゼロ・トゥ・シックスティ・イン・ファイヴ」は、サーフィン映画の古典的名作「FREERIDE」のテーマ曲に抜擢され、パブロ・クルーズはそれで全米の若者に有名になった、と書いてある。だからこの曲には「フリー・ライド・サーファー」という副題がついている。
その後、アメリカ3大テレビの人気スポーツ番組に頻繁に使われ、チャートにこそ入らなかったが、(そもそもシングルカットしたのだろうか)結果的に彼らの一番有名な曲になっているということだ。
なるほど、それで日本でも頻繁にオンエアされてたのか。
帰宅して、17歳の長男に聞かせてみた。
ギターをかじりだした彼は、じっと聴いて最後ひとこと「うん、カッコいいじゃん!」
とても30年前の曲とは思えない、という。そうか、今の若者にも十分通じるんだ。
「これ、演奏するの難しそうだよね。」とも。
「うん、これだけの疾走感を出すのは難しいと思うわ」と私。
でも、いつかバンドでもこんなのできればいいなぁ、なんて思ったり。
とにかく、買って大正解。
CDって、好きなアーティストの作品を期待して買っても、ちょっとイマイチだったということも往々にしてあるではないですか。ところが今回は、この1曲だけのために買う価値が十分過ぎるほどありました。
なんせ、私にとって記憶の彼方にあった曲名もわからない曲。でも、どうしても思い出したかった、もう1度聴きたかった曲なのだから。
しばらくは、飽きるまで聴くでしょう。長年の謎がとけたみたいな気分です。
**********************************************************************************************************************1年3ヶ月ぶりにブログを再開しました。
長い間、ほったらかしにしてすみません。削除しちゃおうかとも思ったけど、自分の記録を残したいという勝手な理由でそのままにしていました。
その間に訪問してくださったり、メールやコメントをいただいたり、再開を促してくださった方々、ありがとうございました。
今後も時折、日々感じたことなどを書いていきたいと思います。
よろしくお願いします。]]>
偉大な父を持つ息子たち
http://gbsatomi.exblog.jp/6924611/
2007-06-01T00:54:00+09:00
2007-06-01T22:17:19+09:00
2007-06-01T00:54:22+09:00
gbsatomi
LOVING JOHN & FAB4
あまりに更新しないので、心配メールをくださった方もあり、本当に失礼しました。
こうやって、ご無沙汰をお詫びすることは何度かあったけど、今回ばかりは1ヶ月以上もあけてしまって、2004年10月以来なんとか続けてきたこのブログ始まって以来のことでした。
その間、何をしていたかというと、相変わらず「つげ義春的な」夢ばかり見ていました。つまり寝てばかりだったわけです。(新ブログにかまけていたという噂もありますが)
何はともあれ、今後も細々と続けていく所存ですので、よろしくお願いします。
と、口上が長引きましたが・・・
いきなりです。「ショーン・レノン 11月来日公演決定」。
その前に、サマソニにも出るらしい。真夏の日本にわざわざご苦労さまです。
東京会場、うちのそばだよ。行かない行かない。見たくない。
やはりアンチヨーコの私からすると、ショーン、なんだか金満坊や、という感じがして、今ひとつ好きになれないのです。子どもの頃は可愛かったけどね。いや、ショーンに罪はないのかもしれない。でも、私はどうしてもジュリアンに肩入れしたくなるのです。
では、そのショーン、どんなふうになっているのかと思い調べたら
こんな感じでした。
やはり金満坊やじゃないか!もう坊やというトシでもないな。(今年で32歳)。
風貌は劣化して太ったジョン、声はわずかにジョンの鼻声体質を引きずりながら、ヨーコの高い、腰のない声質に似ている気がします。とにかくお父さんより声が高くて細い。
声といえば、もう23年前にもなるのですが、ジュリアン・レノンが「ヴァロッテ」を引っさげてデビューしたときの衝撃は忘れられません。
「な・な・なんだ?ジョンの声そっくり!」
あまりに似ているので、そのときは「何かこう、電気的に処理して似せたのかな」と疑いました。
でも、改めてこの曲を聴いてみると、ホントにそうしたのかな、とも思います。
だって、こんなの見つけちゃったんです。
86年の来日で、「It won't be long」を歌い、踊るジュリアン。
歌わされてる、と言ったほうがいいようなできばえです。ここでの声は細く、ヴァロッテの時のような肉太感がない。ジョンの若いときはもっとワイルド&ダイナミックでしたよね。
ステージアクションもなんかぎこちなく、見ていて痛々しい。でも日本の観客は一生懸命ノッてあげてる。
「あの、ジョンの息子がここにいるのよ。みんなで応援してあげましょう」って感じかな。
(私ももしそこにいたら、そうなったことでしょう)
全然違う分野だけど、後に長嶋一茂がデビューしたとき、ジュリアンのデビューを思い出しました。
ヤクルトだったけど、「背番号3」がバッターボックスに立ったとき、多くの人はその後姿に「Mr.プロ野球」 長嶋茂雄氏の姿を重ね合わせたことでしょう。
その息子に「夢よもう一度」と、どうしてもお父さんと同じような活躍を求めてしまった。
結果は皆さんご存知のとおり。一茂は、プロ野球選手としては大成しませんでした。
ジュリアンも、ショーンも、一茂と同じような星の元に生まれているんだな。いや、知名度、世間にあたえる影響などが長嶋茂雄氏の比でない、ジョン・レノンの息子なのだから、もっともっと、その人生において、常に父親と比較され、世界的に注目されてしまう宿命をもって生まれたわけです。
良くも悪くも父親の呪縛から逃れられない人生、というのはどんなものなんだろう。
ジュリアンもショーンも、メガヒットはないにしてもずっと活動を続けているのだから、中堅ミュージシャンと言って差し支えないのでしょう。
でも、入手した映像をみる限り、2人ともジョンのような、人の心をとらえて離さない魅力はやはりないですね。ジュリアンの声質はジョンに似ているけど、表現力にかなり劣る。
まあ、ジョンは唯一無二の人であって、息子だからといって全く同じ歌い方すると、それはそれでヘンなのですが。
でも(繰り返し言うけど) やはり私は、このジュリアンの憂いを帯びた、もの哀しげな表情にシンパシーを感じます。同じ息子なのに一人はあまり手をかけてもらえず、一人は溺愛されて育ったのだから。
そういう、人間としていびつな部分を丸出しにして生きたジョンが、またなんともいとおしい、という偏屈ファンの独り言でした。
(こんなのもありました。ジュリアンの「Stand By Me」)]]>
PLEASE PLEASE ME by 梓みちよ
http://gbsatomi.exblog.jp/6722510/
2007-04-12T01:35:00+09:00
2007-04-14T20:38:51+09:00
2007-04-12T01:35:44+09:00
gbsatomi
MUSIC
前の記事でとりあげたCD 「FROM LIVERPOOL TO TOKYO」のレポートです。
60年代初頭から中盤にかけて活躍した、GSや女性歌手がビートルズをカヴァーした作品集。予想どおり、奇妙なアレンジや訳詞もあり笑えたが、「う~ん」とうなってしまうものもあった。
なかでも、特記すべきは「梓みちよ」だ。
梓みちよといえば、なんといっても「こんにちは赤ちゃん」でしょう。
というか、それしか知らない。と思って調べたら、「二人でお酒を」の人でもあった。
ああ、あれか。80年代初めだったかな?途中で座り込みながら歌うやつね、うん、カラオケで歌ってる人が結構いたなあ。でももっと年代が上の人だったわ・・・と懐かしく思い出した。
とにかく、梓みちよと言えば私にはそのくらいの知識しかなかった。
その彼女が若かりし頃 「Please Please Me」のカヴァーをしていたのだ。いや、「させられていた」のでしょう、きっと。
この人、1943年生まれだからリアルビートルズ世代。レコードデビューは1963年1月で、「こんにちは赤ちゃん」リリースが10月というから、「Please Please Me」を歌ったときはまだ20歳そこそこの清純派歌手だったに違いない。
そんな人がなぜ?よりによって「Please Please Me」?
ビートルズってのが流行ってるから、これでも歌ってみなさい、と言われたのかもしれないけど、この歌詞の内容・・・ちょっと恥ずかしいでしょ・・・いまどきの女の子ならまだしも、当時の若い娘が「俺がやるみたいに、お前もやってよ」とHを連想させる歌を歌うんですよ。
その歌唱がまた、なんとも優等生的なんです。まず英語の発音がとても上手。アメリカ英語ではなく、Queen’s English的なキレイな英語。そして声は高く、澄んでいる。(「二人でお酒を」の頃は、低い大人の女性の声だったのにね)
その、いかにも清純派的な声で、きちんと譜面に書き起こしたかのような「PleasePlease Me」を、一音一拍間違えることなく歌い上げる「お歌のお稽古」みたいな教科書的歌唱なのだ。ロックとはかけはなれている。Hどころではない。
調べてみると無理もない。梓みちよは、宝塚音楽学校で声楽やバレエをきちんと学んだ人だったのだ。 在籍時はトップの成績で、渡辺プロが引き抜き、鳴り物入りでデビューさせたという。「こんにちは赤ちゃん」はリリースして3ヵ月後、その年の暮れにレコード大賞を受賞したそうだ。当時のレコ大の権威ときたら、今の比ではなかったでしょう。この曲がいかに爆発的に売れたか、そして彼女がいかに国民的歌手だったかを物語っているのではないか。
そんな位置にいた梓みちよが、「PleasePlease Me」である。
これもまた、「東京ビートルズ」同様、日本のロック黎明期における珍事といえるのではないだろうか。
このアルバムでは、「ザ・キューピッツ」という女声デュオもちょい笑えた。名前からして「ザ・ピーナッツ」のパクリであるが、やはり双子姉妹らしい。「涙の乗車券」の迷訳を律儀に歌っていた。 尾藤イサオ+内田裕也with寺内タケシとブルー・ジーンズの「アイム・ダウン」はカッコ良かった。(もち、英語)。
中でも出色の出来は、柳ジョージ率いるパワーハウスの「Back In The U.S.S.R」だ。
原曲の形は歌詞以外全く崩れ去り、渋いブルースになっている。全編にフィーチャーされているカッコいいピアノがミッキー吉野と知り、2度びっくり。(だってゴダイゴのおデブってイメージしかなくって・笑)
まあ、なんだかんだ言って日本のロックの歴史をたどる、マニア垂涎の1枚なのかもしれない、と思いました。]]>
これは許せない!
http://gbsatomi.exblog.jp/6659292/
2007-03-28T01:21:00+09:00
2007-03-29T01:45:47+09:00
2007-03-28T01:21:27+09:00
gbsatomi
LOVING JOHN & FAB4
何、これ???
2006年6月発売、「FROM LIVERPOOL TO TOKYO 2 」だって。
去年出た、コンピレーションアルバム。
なぜに去年?
来日40周年の企画モノかな。
しかし、これ、ジャケットも私にとって宝物のような
「OLDIES」をパロってて気に入らないが、中身はもっと許せない。
1. アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア(ザ・ペブルス)
2. オール・マイ・ラヴィング(小山ルミ)
3. ア・ハード・デイズ・ナイト(平山三紀)
4. すてきなダンス(CASH)
5. エニータイム・アット・オール(ザ・スパイダース)
6. YOU’VE GOT TO HIDE YOUR LOVE AWAY(恒松正敏)
7. アイ・ニード・ユー(CASH)
8. デイ・トリッパー(小山ルミ)
9. ノルウェーの森(ザ・ピーナッツ)
10. イン・マイ・ライフ(森山良子)
11. NOWHERE MAN(恒松正敏)
12. イエロー・サブマリン音頭(金沢明子)
13. ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア(森山良子)
14. シー・セッド シー・セッド(ザ・サーフコースターズ)
15. ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ(森山良子)
16. ヘイ・ジュード(小山ルミ)
17. ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス(増田俊郎)
18. アイ・ウィル(藤田朋子)
19. Julia(イルカ)
20. Helter Skelter(浜田麻里)
21. ケンちゃんのハニーパイ(井上ケン一)
22. カム・トゥゲザー(小山ルミ)
23. サムシング(内田勘太郎)
24. ビコーズ(ガロ)
25. アクロス・ザ・ユニバース(トワ・エ・モア)
26. ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード(森山良子)
ガロの「ビコーズ」だけは聞いてみたい気もするが。
一番許せないのは、藤田朋子の「アイ・ウィル」。何様のつもり。
次に許せないのがイルカの「JULIA」 やめてちょうだい。
トワ・エ・モアの「アクロス・ザ・ユニバース」、これは許す、というか聞きたい。
森山良子が出しゃばっているが、どうせなら息子さんに歌ってほしかった。
(直太郎のボーカルは結構好きなので)
小山ルミ・・・小山ルミって誰だっけ・・・?
もしかして、「松岡きっこ」に似た、真ん中わけワンレンの人?
そんなタレントが大昔いたような。でも、歌、歌うの?
ザ・スパイダースの「エニータイム・アット・オール」 これはいいかも。
ザ・ピーナッツ「 ノルウェーの森」 聞くのがコワイ。モスラ~や、モスラ~♪
でも、これって全部英語で歌っているんだろうか?
曲名が、英語表記と日本語表記がある。日本語のものは、ヘンテコな訳詞で歌ってるのかしら?ああ、それだったらガロの「ビコーズ」も聞きたくない!
とても買う気はしないが、一度だけ怖いもの見たさで聞いてみたい気も。
誰か、買ってくれないかなぁ~^^;
しかし、ふと気づいた。
「FROM LIVERPOOL TO TOKYO 2 」 2ということは1もアリ?
あ、ありましたぁああああ~(絶叫)
「FROM LIVERPOOL TO TOKYO」 2001年5月発売。
このジャケットも許せないが、それなりの人が演奏している。
1. 抱きしめたい(スリー・ファンキーズ)
2. プリーズ・プリーズ・ミー(クール・キャッツ)
3. シー・ラヴズ・ユー(ザ・キューピッツwith亀井信夫とスペイスメン)
4. キャント・バイ・ミー・ラヴ(東京ビートルズ)
5. プリーズ・プリーズ・ミー(梓みちよ)
6. アイ・フィール・ファイン(ほり・まさゆきwith寺内タケシとブルー・ジーンズ)
7. エイト・デイズ・ア・ウィーク(ザ・キューピッツwith亀井信夫とスペイスメン)
8. 恋のアドバイス(ザ・スパイダース)
9. ヘルプ(尾藤イサオ+内田裕也with寺内タケシとブルー・ジーンズ,ジャッキー吉川とブルー・コメッツ)
10. チケット・トゥ・ライド(ザ・キューピッツwith亀井信夫とスペイスメン)
11. 悲しみはぶっとばせ(ザ・スパイダース)
12. アイム・ダウン(尾藤イサオ+内田裕也with寺内タケシとブルー・ジーンズ)
13. ガール(ジャッキー吉川とブルー・コメッツ)
14. ひとりぼっちのあいつ(インストゥルメンタル)(井上宗孝とシャープ・ファイブ)
15. 恋を抱きしめよう(ザ・スパイダース)
16. ペイパーバック・ライター(弘田三枝子with渡辺明とリズム・アンド・ブルーセス)
17. サージェント・ペッパーズ(ザ・カーナビーツ)
18. ハロー・グッドバイ(ザ・ワイルド・ワンズ)
19. レディ・マドンナ(伊東きよ子&ザ・ハプニングス・フォー)
20. ヘイ・ジュード(ザ・スウィング・ウエスト)
21. オブラディ・オブラダ(ザ・カーナビーツ)
22. ドント・レット・ミー・ダウン(ズー・ニー・ヴー)
23. ゲット・バック(ザ・カーナビーツ)
24. レット・イット・ビー(ジャッキー吉川とブルー・コメッツ)
25. バック・イン・ザ・U.S.S.R.(パワー・ハウス)
26. グッド・ナイト(森山良子)
でもこれさぁ・・・曲名に英語表記がありません。
もしかして全部訳詞?東京ビートルズのノリ?
だったら、絶対聞きたくない。というか、なんと東京ビートルズ、しっかり入ってる!!
・・・・・・却下・・・・・・
こういうアルバムが出て、今でも廃盤にならずに売ってるんですねぇ。
買う人がいる、ということか。
またしても、改めてビートルズの偉大さがわかった次第です。
]]>
THOSE WERE THE DAYS
http://gbsatomi.exblog.jp/6638009/
2007-03-23T01:21:00+09:00
2007-03-24T19:43:35+09:00
2007-03-23T01:21:25+09:00
gbsatomi
LOVING JOHN & FAB4
悲しげなビデオクリップを見つけた。
ビートルズ好きな方には、心にせまるものがあるのでは?
スペインのバンドかなぁ?
ビートルズを尊敬しているのが、よくわかります。
ポールのファンなんでしょうね。
最後は「王様」の「HEY 柔道一直線」に通じるものがあった。
どこの国でも、こんな人たち、いるんだな。
哀感あふれる歌と、映像を見てると、ビートルズがいかに奇跡的なバンドであったか、と
改めて感じ入りました。]]>
青アップルに会いに
http://gbsatomi.exblog.jp/6598147/
2007-03-13T17:04:00+09:00
2007-03-13T23:11:56+09:00
2007-03-13T17:04:40+09:00
gbsatomi
LOVING JOHN & FAB4
私が中学生のときにコツコツと買いためた青アップルたちは、なぜか行方不明。
結婚して実家を出てから、両親は2回引っ越しているので、どさくさ紛れに捨てられちゃったかな、と思い母に聞いたら「ビートルズのLP?捨ててなんかないわよ。他のレコードも捨てたことなんてないわ」 と言っていたのだが。今となっては聞くこともできなくて。
で、いろいろ見せてもらいました。
まず、ちょっと驚いたのがこういうEP盤。
左2枚の写真なんて、今まで見たことなかったわ。
裏はこんな感じ
ちょっと不鮮明だけど、日本語で「コンパクト・ディスク・EP・ボックス・セット」
英語では「Compact Disc EP.Collection」となってます↓
でも発売時期はわかんない、って。
ちなみに、この「マジカル」は、もろに「紙ジャケ」です。
ではLPを見せてもらいましょう。
ああ、これを見れただけでも幸せ。My First Album「OLDIES」と「SECOND ALBUM」
うちにあった「SGT.」は、右のような絵はなかったんです。どうして?
これにはたいそう驚いた。
「THE BEATLES IN ITALY」
イタリアでのライブ盤があったの?と思いきや、イタリア国内編集盤でした。
そんなのも、日本で正規品として売ってたんですね。
曲は「Long Tall Sally」から「Yes, It Is」まで、初期のちょっと変な組み合わせ。
イタリア人にウケる選曲だったんでしょうねぇ。
懐かしいなぁ。食い入るようにして見た中ジャケット。
DVD化はいつのことになるのやら。
そろそろ、「青アップル」に会いたくなってきたので、中のレコードを引っ張り出した。
ところがなんと
「白アップル」!
思い出の青アップルには会えなかったけど、珍しいものが見れたのでよしとしましょう。
ああ、いつ会えるかな、青アップル。
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ライブ!
http://gbsatomi.exblog.jp/6528552/
2007-02-25T18:05:00+09:00
2007-03-14T16:06:20+09:00
2007-02-25T18:05:56+09:00
gbsatomi
LOVING JOHN & FAB4
昨日は昨年から組んだ新バンドでの初ライブだったので、生まれ変わったつもりでがんばってみました。
(セットリスト)
1 Back In The U.S.S.R
2 Martha My Dear
3 While My Guitar Gently Weeps
4 Sexy Sadie
5 Hey Bulldog
6 The Fool On The Hill
7 Golden Slumbers~Carry That Weight~The End
8 Her Majesty
(アンコール)
Lady Madonna
(ジョンのアルバムジャケットの下で演奏する私。なぜかこういう向きで展示されている)
お越しくださった皆さま、本当にありがとうございました。
写真などたくさん撮っていただき、感謝しています。
とてもアットホームなノリで、楽しく演奏させてもらいました。
とはいえ・・・
実は緊張して、6曲目までは腕がぶるぶる。
「だめじゃない、こんなことでは。平常心にならなきゃ」
まだまだ修行が足りないようです。
案の定、「フール・オン・ザ・ヒル」のエンディング、私が止めなきゃいけないのに
一瞬遅れてしまって、間抜けになってしまった。
一度失敗して開き直ったのか、最後のメドレーは平常心でできた(つもり)。
お客様が「『キャリーザッウエー!』と一緒に歌ったよ」と言って下さって
嬉しかった~。
音のバランス等、反省点はたくさんありますが、今後もいろんな目標を持ちながらも肩に力を入れず、細く長くやっていきたいと思っています。
よろしくお願いします。
(私だけなぜ花束もらってたのか不思議に思われたかも知れないけど、来るはずだった従姉妹が来れなくなったので、お店に届けてくれたのです。一部で言われてた?婚約発表会見ではありません。。。(笑)]]>
明けましておめでとうございます
http://gbsatomi.exblog.jp/6272204/
2006-12-31T23:27:00+09:00
2007-01-02T01:56:21+09:00
2006-12-31T23:27:28+09:00
gbsatomi
DIARY
昨年もご愛読いただきまして
ありがとうございました。
ブログで多くの方々と知り合うことができ、
嬉しく思っています。
また、いつも会ってお世話になっている人、
めったに会えないけど
昔からの大切な友達などにも
私の考えていることや近況をわかってもらえたかな、なんて思ってます。
でも反省すべくは・・・もっと更新しなくちゃねm(__)m
今年は少し変わります!
もっと元気に。
もしかして、新しいブログをたちあげるかも?
皆様にとって、今年も良い年となりますよう、お祈り申し上げます。
そして、今年もこんな私をよろしくお願いします。
2007年 新春
satomi
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26回目の冬 ―ジョンの「Woman」たち―
http://gbsatomi.exblog.jp/6160873/
2006-12-08T12:09:00+09:00
2006-12-09T15:29:49+09:00
2006-12-08T12:09:59+09:00
gbsatomi
LOVING JOHN & FAB4
私の愛する皮肉屋さん。
「Starting Over」と歌いながら、突然旅立った
矛盾の人。
あの日、東京も寒かったけど
NYはもっともっと寒かったでしょう。
あったかいおうちの前に着いたのに、
そのおうちに入れなかった。
母を2度失った、不遇な少年。
17歳の頃から、あなたは捜し求めていた。
2度と逢えない人を、捜し求めていた。
ロックの神様が、あなたに使命を与えた。
「世界中を惑わせよ」
そう、あなたは、ロックの申し子。
シャウト1発。
世界はあなたのとりこになった。
けれどあなたは「Help!」と叫んだ。
誰も気づかなかった。
あなたは、ずっと捜し求めていた。
妻を捨て、息子を捨てた。
二人目の妻と一緒に叫んだ。
「Give Peace A Chance」
おとぎ話が始まった。
「You May Say I’m A Dreamer」
そう、あなたはDreamer。
捜し求めていたものは、得られたの?
「Mama Don’t Go, Daddy Come Home」
臆面もなく叫んだ30男。
やがてあなたは沈黙した。
人生初めての、安息の日々だったのだろうか。
かわいい息子を授かり、パンを焼いた。
坊やは、あるとき言った。
「パパって、ビートルズだったの?」
Back To The Music!
かつてロックの申し子だった人は、
Mama Don’t Goと叫んだ永遠の少年は、
For The Other Half Of The Sky とつぶやいて
すべての女性に感謝をささげた。
「Woman」
あなたが愛してきた、すべての女性に。
まるで、自分の人生がもうすぐ終わることを
わかっていたかのように。
「However Distant Don't Keep Us Apart」(たとえ離れていても、僕達を離さないで)
なんて哀しい歌を、あんなにも優しく歌って
あなたは、目を閉じた。
捜し求めていた人に、逢えたかな?
永遠の甘えん坊。
世界中をとりこにした、ロックの子。
いつまでも、みんなの中に。
私の中に。
「So, This Is Christmas」
あなたの声が今日も聞こえる。
26回目の冬。
やはり、あの日と同じ、寒い冬。]]>
長らくご無沙汰してしまいましたm(__)m
http://gbsatomi.exblog.jp/6123785/
2006-11-30T23:50:00+09:00
2006-11-30T23:56:31+09:00
2006-11-30T23:50:31+09:00
gbsatomi
DIARY
無気力病がひどくなっちゃって、日々の生活をこなすのにやっとでした。というか現在進行中。(でも、対外的には元気なんですけどね)
ブログでのおつきあいからメールをいただいたりもしたし、お返事しそびれていることもあって、ただただ、申し訳ないと思ってます。少しずつ、上向きになっていきたいと思いますので、ここのところの非礼をお詫び申し上げます。
この間、管理画面に出る「訪問者数」に毎日励まされてきました。多くの方々(私にしては多い、という意味)が、こんなブログをとりあえずチェックしてくださってる。最近変なTBは全然ないので、純粋にこのブログを見ようとした方か、たまたま通りがかりの方かはわからないけど、本当にありがたいことです。PCの前で何度頭を下げたことか。
マイペースで相変わらずの戯言を発信していきたいので、今後ともどうぞよろしくおつきあいのほど、お願いいたします。
さて、久しぶりの更新のときは、また夢の話を聞いてください。
先日見た印象的な夢。
私は住宅街の大きな坂道を登っていた。どうも、中学生の頃に住んでいた名古屋の家のそばのようだ。(やたらと坂の多い町だった)そばには配偶者がいる。
坂の勾配がきつくなってきた。「何これ?こんなきつい坂だったっけ?」と言う私に、「そうだよ」と平然と答える連れ合い。
そのうち傾斜がどんどん激しくなってきた。息が上がってくる。こんなはずでは…と思いながら必死で登る。気がついたらそれは、90度の断崖絶壁になっていた。止まるわけにはいかない。そこはごつごつした岩場ではなく、大理石のようなつるつるとした石の絶壁。止まったら最後、滑り落ちるしかないし、上に登るにも、滑らないようにほんの少しずつ足を動かして細心の注意を払わねばならない。はぁはぁ。苦しい。でも登りきらなくては。
いつか、頂上となって、この苦しさから逃れられるだろう。そう思うしかない。
登るのをやめたら、滑って落ちるだけ。それは死を意味するのだ。
だから何としてでも・・・はぁはぁ、でももうダメ。ああ、もうダメだぁ!と思ったとき。
目の前の絶壁が90度折れ曲がって、平らな頂上が見えた。
やった~!!両手を投げ出し、最後の力をふりしぼって体を頂上に預けた。
登りきったんだ!助かった!幸福感と脱力感。著しい疲労感。
平らな頂上で、私は文字通り大の字になり横たわった。動けなかった。
連れ合いの消息もわからない。というか考える余裕もない。
しばらくすると、頂上にいた小さな男の子が、ふざけて足を踏み外した。
「ああ~っ!」という皆の悲鳴が聞こえ、数人の大人が転げ落ちる男の子の体を止めようとしている。私は大の字になってのびたまま、その子がもしかしてうちの子じゃないかしら?と心配になったが、動く気もしない。というか動けないで、横たわったままだった。
と、こんな夢でした。
「何なの~これ?」って目覚めて思いましたよ。夢占い師、という人がいたら占ってほしいわ。やけにリアル。でもまあ、何とか生き延びたから良しとするか。でも生き延びたの私だけ??う~ん、なんだかなぁ・・・ま、いいか、夢だもん。
さ~てと。
書きたいことは日々たまってたので、何から書こうかしら、という感じですが、まずはこれを書かせてください。
satomi流「LOVE」の総括。
「LOVE」それは、父から息子への贈り物。
Sir. ジョージ・マーティンから、息子 ジャイルズへ。
一生困らない程度の、財産をあげよう!
ポール&ヨーコ、&リンゴ、オリビア「まあ、いいわ。世話になったジョージのためならば。好きにして」
あはは!このアルバムについては、多くの方がブログに感想を書かれていて、そのたびおじゃましようと思ったけど、結局おじゃましたのは「遼さん」のブログ。コメンテーターも論客ぞろいでなる遼さんのブログに書くには恥ずかしいコメントでしたが、上記のようなことを書かせてもらいました。
でもねぇ、ビートルマニアにはそれなりに利点もあるアルバムだと思います。音の良さにわくわくすることと、ちょこっとだけ使われてる部分を言い当てて、一人悦にいること(笑)サウンドコラージュクイズというのか。あと、ビートルズのコピーをしている者としては、
楽曲のつなげ方(ライブ時)の参考にもなるし、オリジナルでちょっと不鮮明だった音がはっきり聞こえて「なーるほど、こんな音がかぶさってたのか」という点も。
(かねてから聞き取りにくかった、Somethingのピアノ部分がずいぶん立ち上がってきました)
だから私、このアルバムを否定しているわけではありません。
ただ、東芝EMIの売り出し方がいやだ!
「新作」はないでしょ、新作は。
シルク・ド・ソレイユ「LOVE」のサウンドトラックでいいじゃない。
というか、そのものでしょ。
そうやって、さりげなく売り出してくれれば好感度大だったのに。
で、総括って・・・
And in the end
The love you take
Is equal to the love you make.
こんなとこかな(笑)]]>
(架空)Yoko v.s Satomi (フィクション)
http://gbsatomi.exblog.jp/5834780/
2006-10-09T12:46:00+09:00
2006-10-09T22:37:00+09:00
2006-10-09T12:46:56+09:00
gbsatomi
LOVING JOHN & FAB4
あなたに言いたいことがたくさんあったのよ。
Yoko(以下Y) : 上等じゃない?何でも聞いてあげるわ。
S : では、初めに。
あなたはなぜ「ジョン=イマジン」と結びつけようとするの?
どうしてあなたの出たFフィルムのコマーシャルの曲は、イマジンなの?
JLMのトリビュートライブ参加者に、なぜ課題曲としてイマジンを指定するの?
トリノオリンピックに出てきてイマジンの一節を朗読したり。ピーター・ガブリエルに歌
わせたり。
どうして、なんでも「イマジン、イマジン」なの?
ジョン=イマジンという固定観念がついちゃって、私はいやなの。
Y: ちょっと要点をまとめて言ってよね。
つまり、どうしてあたしが何でもイマジンを使いたがるか、って聞きたいんでしょ。
簡単よ。イマジンはあたしの究極の理想の世界。あれほど無駄なく、平和の追求をし
た作品は古今東西どこにもないわ。イマジンこそ、世界中の人々が永遠に求め続け るものなのよ。
S: それってあなたの考えでしょ。
アーティスト、ジョン・レノンの考えではないんじゃないの?
Y: あたしとジョンは一心同体なのよ。
S: あなたの活動は、ジョンの曲や人となりを新しい世代の人、ジョンが亡くなったときに さえ生まれてなかったような若い人たちにも紹介する、という意味では評価できるわ。
ただし、そのやり方は少し間違ってると思うの。
あなたと出会い、結婚してからがジョン・レノンのすべてなの?
アーティスト、ジョン・レノンの歴史は、ビートルズとして世に出たときから始まってるのよ。ジョンの姿を後世に伝えたい、と思うのならそこから始めるべきじゃないかしら?
Y: 私と出会ってジョン・レノンは完成されたのよ。
私と出会う前のジョンには、興味がないの。
S: だいたい、イマジンは曲として洗練されていないわ。
シンプルな歌詞と覚え易いメロディーは、ジョン一流のものだけど。
でもあのメロディーラインは凡庸よ。
私に言わせると「ヨーコ臭がする」というものなの。
Y: 何よ、それ。あたしのことが臭いっていうの?
S: ものの例えよ。あなたが臭いんじゃないわ。
Y: 失礼な人ね。で、あなたのいう『ヨーコ臭』というものを説明してよ。
S: それが上手く説明できないんだけど・・・ジョンの作品、とくにあなたがからんでいる時期のものには、何と言うか独特の「アク」があったのよ。私は中学生のとき、リアルタイムで「心の壁 愛の橋」を聴いたとき、「ジョンの曲、変わった」と思ったのよ。「今ふうになった」というのか、その頃の表現能力で言うと「ジョンの曲が普通っぽくなった」。
あのアルバムのつくられた背景さえ知らない中学生の子どもでさえ、明らかな変化を感じたのよ。今の私の言葉で言えば「透明感がある」 そうよ!あなたと共作したアルバムには透明感がないのよ。なんかネチネチしているのよ。
Y: あーのねぇ、もっと論理的に、筋道立てて話してよね。
ちっとも説明になってないわよ。
S: だから「上手く説明できない」って言ったでしょ。もうちょっと練り直してくるわ。
それから、もう一つ言わせてほしいんだけど。
あなたの露出趣味にはいいかげん、辟易しちゃうの。
Y: 露出?どういうことかしら。あたしは常に美しいものを発信してるだけよ。
S: 露出といったら語弊があるけど、自己顕示欲というのかしら。
ビートルズの曲に出しゃばってリードボーカルとったり、ジョンの5年ぶりのアルバム を半分自分の曲で占めるなど、もうちょっとわきまえてほしかったのよね。
それから、ビデオクリップでジョンの最期の顔を一瞬見せたこと・・・あれはやめてほしかった。
Y: あたしはアーティストなのよ。アーティストが作品を発表しているのよ。
出しゃばってるとか、自己顕示欲なんて言われたくないわ。
ダブル・ファンタジーは、ジョンとの「共作」なのよ。わきまえて、なんて言われるのはスジ違いよ。
S: そう言うなら、自分一人の名前で勝負したら?なぜ、ジョンの名前を借りるの?
Y: だから、あたしとジョンは一心同体って言ったでしょ。借りてるんじゃないの。
ジョン=あたし なのよ。
S: そこがずいぶん勝手な論理だと思うの。
それから、本来の露出という意味から言えば、あなたは若い頃も、洋服を観客に切らせて下着姿になるというパフォーマンスをしてたけど、先日記者会見したときの服装にはまいったわ。若々しさを誇示したい気持ちはわかるけど、そのトシになったらさすがに慎むべきじゃないかしら。
Y: だからあたしは美しいものは発信し続ける、って言ったじゃない。
あなたって、トシをとったらあれこれしちゃいけない、とかそんな考えにとらわれてるのね。
そんなんじゃ、いつまでも現役でいられないわよ。
S: 私のことはおかまいなく。でもあなたのことを一つ認めていることがあるわ。
それは、あなたは73歳のおばあさんとは思えないほど、若々しいことよ。
若さを保つ努力をしているのは、素晴らしいと思うわ。
Y: おばあさんですって!あたしの辞書には男と女という言葉しかないのよ。あたしはいくつになってもあたし。いつまでも女なのよ。
S: その姿勢は、見習いたいと思うわ。
Y: フフフ、せいぜいがんばってちょうだい。
S: 最近思うんだけど、あなたって結局究極のお嬢様で、一生お金に困らない人で、浮世離れした生活の中で、あなたなりに一生懸命いろいろなこと考えて、行動しているんだな、って。 あなたって、やっぱり一般の庶民とは感覚が違うのよ。
Y: 一般庶民の生活ってしたことがないからわからないわ。想像はできるけどね。
S: その人が一般庶民に向かって、ジョンを使ってやれ平和だの、愛だの、って言ってる。あなたはそれを、素晴しいことだと思ってる。なんかズレがあるのよ。そのズレに気づかず、毎年日本でやってる「スーパーライブ」。あれはチャリティという面では実績もあげていて素晴しいと思うけど、あなたが喜々としてステージに出てくる姿を見ると、なんだかあなたの自己満足・・・自己顕示欲を満たすためにやってるように見えるの。
Y: それは、あなたがそう見てるだけでしょ。
S: ジョンの作品を手段に、平和を訴え、恵まれない地域の子どもたちに学校を建てることはとても意義があるけれど、なんというかもうちょっと奥ゆかしいやり方ってないかしら?
Y: そういうことを言うなら、言う前に提案してよね。
あたしの前で、こんなにあたしに文句を言う日本人は初めてだわ。
まだまだ青いけど、もう少し勉強してまたいらっしゃいよ。いじめてあげるわ(笑)
S: ありがとう。いじめられるなんて本望だわ(笑)
最後に、一つ。いつまでもお元気でいてね。あなたが病気になったりして活動しなくなると、叩く人がいなくてつまらないの。いつまでも私に、憎々しげなほど元気な姿を見せてちょうだいね。
(この対談は全くの妄想に基づくフィクションです)]]>
卵巣がん治療の向上を願って
http://gbsatomi.exblog.jp/5798485/
2006-10-03T01:15:00+09:00
2006-10-03T22:46:35+09:00
2006-10-03T01:15:34+09:00
gbsatomi
DIARY
44歳。卵巣がんでした。
美しく、聡明だったMami。モデルのバイトもしていたほどの美女なのに、気取ったところがなく、優しく楽しい女性でした。
神様は、美人薄命の法則を彼女に適用してしまった、と思いました。
お母さんを同じ病気で3年前に亡くし、見送った後に自分も同じ病気に冒されていることに気づく。そのとき既にステージⅣ。
そこからMamiは、果敢に闘病したのです。生粋の湘南ガールで、学生時代はウィンドサーフィンのクラブにいた彼女は海が大好き。ハワイ大好き。そのハワイに、病気になってからも3回行ったそうです。亡くなる2ヶ月前にもハワイに行ったというのに。。。
Mamiは、卵巣がん患者が集うサイトの掲示板で、活発に投稿していました。
自身、重篤な状態だったのに、皆を励まし、支え、慰め、元気を分け与え・・・・・
彼女の訃報を知った多くの人が、パソコンの前で涙を流した、悲しくてたまらない、などと投稿していました。優しかった、大好きだった、ありがとう、あなたのことは決して忘れない、と掲示板上のつきあいで会ったこともない人たちが、我がことのように悲しんでいる様子を見て、「Mamiは昔と全然変わらない、みんなに愛される人だったんだ」と改めて思いました。
その彼女が、思い残していったのではないか、というのが
「未承認や保険適応外の抗がん剤の早期承認を求める署名運動」 です。
抗がん剤は、最初は有効であっても治療を続けていくうち、耐性ができてしまってやがて効かなくなるそうです。卵巣がんは再発しやすく、以前の抗がん剤が効かなくなっていたら、別のものを使うが、日本では承認されているものが少ないらしく、患者の選択は狭められていく。
Mamiは、個人輸入で未承認薬を使って治療したようですが、全額自己負担のためその費用は1回の治療(点滴)で50万もかかったそうです。しかもその薬は、世界60カ国以上で承認されていて、欧米諸国では標準的な治療に使われる薬。医師によると「未承認なのは北朝鮮と日本だけ」というものらしいのです。
日本でも承認に向けての動きがあるらしいけど、製薬会社が申請してから厚生労働省が審査・・・という、お決まりのコースがあって、迅速にはいかない。
この事実を嘆いた彼女が、掲示板で 「何とかならないかしら…」 と言ったのがきっかけで、署名運動が立ち上がったようです。
彼女の問いかけに応じる人、協力を申し出る人などが現れ、サイト管理人さんの大いなる尽力もあり、「ネット署名」という、短期間に署名を集められる有効な手段が整いました。
彼女も、亡くなる1ヶ月前まで関係各所に問い合わせたり、と自分の体にムチ打ちながら
がんばっていた様子。でも、神様は彼女を天国に召されたのです。
卵巣がん体験者の会 スマイリー
このサイトに、ネットで署名できる欄があります。
内容を読まれて、もし賛同されたなら、署名していただければありがたいです。
(私は会員ではありませんが、友達の遺志の実現に少しでも役立ちたい思いから署名し、このブログで紹介させてもらいました)
Mamiのお通夜には行ったが、翌日の告別式にはどうしても行けず、お別れできなかったことが心残りだった。
その日の夜・・・彼女はほんの一瞬だけど、私の前に現れてくれた。
(下の記事の最後、「追記」をご覧ください)
今にして思えば、「satomi、かぶりつき、ズルーい!私も来ちゃったよ」って学生時代のノリで言ってたような。
Mami、ありがとう。私の中であなたは、永遠の天使。いつまでも、忘れない。]]>
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